ケンのプロフィール

【目次】
①ケンの生い立ち
②目立っていた小学校低学年時代
③ライバルT君登場
④さらなるライバル、G君の登場
⑤中学時代の挫折
⑥魔球ジャイロボールとの出会い
⑦新たな戦いの始まり
⑧大学受験へシフト
⑨大学生活とインドへ行くまで
⑩人生を変えたインド留学
⑪試練の1年
⑫新しい挑戦
⑬これからの夢
⑭最後に

① ケンの生い立ち

1991年8月20日、宮城県仙台市で生まれる。

父、母、長女、次女、そして僕の5人家族の中で育つ。

 

父は警備員、母は区役所勤めの公務員。

ごくごく普通の家庭で育った。

 

母はずーっと男の子が欲しかったらしく、

僕が生まれた時、それはそれは喜んでいたらしい。

 

今でも僕の昔の写真を見ながら、

「可愛いなぁ~」「ふっふっふっふ(嬉)」と、

目の前にいる本人をガン無視して笑うのである。

 

おかげでかなり甘やかされて育った。

 

小さい頃、姉と喧嘩した時、

母は常に僕の味方だった。

 

しかし母に加勢されなくても、

僕は一人でも姉に勝てると思っていたので

「俺に味方すんな!!」と母にもキレていた。

 

このように、小さい頃の僕は、

プライドの高い、負けず嫌いの性格だったと思う。

 

また、幼少期の頃から絵に対する興味を持っており

消防車のミラー部分だけをひたすら描き続けるという

マニアックな一面を既に見せ始めていた。

 

②目立っていた小学校低学年時代

小学校時代は田舎に住んでいた事もあって、

非常に規模の小さい学校に通っていた。

 

全校生徒約60人。

1クラスではなく全校生徒。

 

その少ない人数の中で、僕は特に目立つ存在だったと思う。

それは何故か。

 

男の子が、小学校における自分の地位を

確固たらしめるものとは何かを考えてみて欲しい。

 

頭が良いこと?

優しいこと?

トイレに一人で行けること?

 

正解は

運動が得意で、足が速いことである!!

 

『足の速さとクラスでの目立ち度は比例する』

 

これが後世で証明されるであろう「小学校の定理」である。

 

僕は運の良い事に、その能力を持っていた。

学年で1番足が速くて運動できたのである!

 

学年で生徒13人しかいなかったけど。

 

小学校3年時、その運動神経を買われて、

地域の少年野球チームに所属する事になった。

 

ちなみに日本男児の大半は、

雰囲気的に何となく少年野球チームに所属する事になっている。

ビバ、総画一社会日本。

 

そんなこんなで、

自己顕示欲が十分に満たされた小学校低学年を満喫していた。

 

しかし、小学校3年時、僕に危機感を抱かせる

ある一人の男の子が転入してくるのである。

 

③ライバルT君登場

ある日、クラスに一つの吉報が届いた。

 

この人影寂しい小学校に

なんと転校生がやってくるというのである!

 

それが男の子という事もあって

クラスの女子はなんだかソワソワしている。

 

そんな雰囲気の中、転校生T君はやってきた。

 

自己紹介が始まる。

良い感じの好青年。

サッカーに打ち込んでいるという事もあり

運動神経も良さそうだ。

 

ある種の危機感(?)を感じた俺は

休み時間にさっそく彼の元へ向かった。

そしてこう話しかけた。

 

「俺はケン!3年生で俺が1番運動神経良いんだぜ!よろしくな!」

 

まさに厚顔無恥の恥さらし。

普通に話しかけて仲良くなればいいものを

事もあろうか自分の存在を誇示するための自己紹介を始めたのだ。

 

後にT君はこの時の場面をこう振り返る。

「いや~初対面で何を言われるかと思ったら、

いきなり自分はNo.1宣言だぜ?ドン引きだったよ~!」

 

大丈夫。

僕も今では当時の自分にドン引きしてます。

 

さて、そんなこんなでT君と絡むことになったのだが

予想以上にすごいやつだった。

 

サッカーはダントツだし、足も速いし、面白いやつだ。

これは立派なライバルの登場である。

 

しかしライバルであると同時に、1番の友達になった。

 

矛盾するようだが、

彼が得意な分野と僕の得意な分野が

それぞれ違っていたのが大きい要因かもしれない。

 

彼はサッカーで僕は野球。

お互い足は速かった。

彼にはユーモアのセンスがあり、僕は絵を描くことが得意だった。

 

つまりお互いの強みのアイデンティティが衝突せず

うまい具合に調和と尊敬を生んだのである。

 

彼とは一緒に秘密基地を作るほどの仲になった。

そして私有地に秘密基地を作ったことから近隣のクレームが入り

僕たちの秘密基地作りは無事終焉を迎えた。

 

④さらなるライバル、G君の登場

僕は小学校4年生になった。

 

当時僕は所属していた少年野球チームでセンターのポジションだった。

センターは機敏さを活かして、広範囲を守るポジションである。

 

そんな時に転校してきたのが、

後に僕の存在意義を揺るがすことになるG君である。

 

彼は口数が少なく、クールな感じだった。

なかなか僕が苦手とするタイプである。

 

一応書いておくと、

「俺が1番運動神経良いんだぜ!」

なんて事はG君には言っていないので安心してほしい。

 

大半の日本男児と同じように

彼も同じ少年野球チームに入ることになった。

 

そして彼にはセンスがあった。

 

初めてのバッティング練習にも関わらず

面白いようにバコバコバコバコ打つのである。

まさに「大型ルーキー現る!」である。

 

そんな様子を見て、

「なんかあいつムカつかね?」

とライトとレフトに愚痴っていた僕は相変わらずの小物だった。

 

G君の成長スピードはズバ抜けていた。

バッティングもさることながら、

ピッチャーとしての資質も持っていた。

 

そしてなんと足までもどんどん速くなり

あっという間に学校一の瞬足を手に入れていた。

 

彼は誰もが認めるエースで4番、さらには瞬足という

チームNo.1の座を勝ち取ったのである。

 

自分のプライド、野球と足の速さで僕は負けたのだ。

 

初めての挫折である。

 

僕は唯一自分に残った「絵を描く」という特技を隠れ蓑に

「良いんだ。1番はとれないかもしれないけど、

オールラウンダーとして、俺は生きていくんだ…」

と小学生ながらに得た悟りを自分に言い聞かせていたのであった。

 

G君に対してそんな劣等感を抱きつつ

小学校生活を終えた。

 

⑤中学時代の挫折

僕は晴れて中学校に入学したが、

一気に増えた生徒数にビクビクしていた。

 

学年で十数人だった環境が

学年で140人という規模に変わったからである。

 

小学校時代と同様、

基本的に「勝つこと」をモチベーションにして生きてきた僕が

「こりゃ努力せねば…勉強も運動も!」

と息巻いたのは当然の成り行きだった。

 

親としては嬉しい事に、

僕は何を言われなくても日々の勉強に取り組んでいた。

そのおかげで中学では優等生として通っていた。

 

部活に関しては陸上部に所属していた。

 

「えっ、もう野球はやめちゃったの?」

という声が聞こえてきそうだが、

実はシニアクラブという野球チームにも所属していた。

 

平日に陸上部をやり、土日はシニアクラブで野球をしていたのである。

ちなみに、かのG君も同じ陸上部、シニアクラブに所属していた。

 

しかし、僕は1年でクラブを辞めてしまった。

 

自分より上手いメンバーがたくさんいたのに加えて、

周りのメンバーと馴染めなかったからである。

 

2度目の挫折。

 

「あ~あ、やっと辞めれた!これで土日の時間も増えるし遊べるぜ!勉強だって出来るしな!」

 

なんて強がりで言っていたが、

本当は「途中で逃げた意気地無し」と心の中の自分が叫んでいるような気がして

なかなか苦い思い出となった。

 

ちなみに、そのシニアクラブで当時エースピッチャーだった先輩は

今では立派なプロ野球選手として活躍しているというのはここだけの話である。

 

⑥魔球ジャイロボールとの出会い

シニアクラブを辞めた事で野球を辞め

陸上部の短距離走に専念した。

 

その陸上部も終わり、

高校受験も無事に合格し、

中学3年、最後の冬休みを満喫していた。

 

当時は毎日ゲーム三昧の典型的な中学生だった。

 

その遊んでいたゲームの中に、「実況パワフルプロ野球」という

野球少年なら知らない方が奇跡的なゲームがあった。

 

このゲームは毎年新しいシリーズが発売されるのだが

その年は異色を放っていた。

 

なぜなら投手の球種に、見慣れないものが追加されていたからである。

 

その名も「ジャイロボール」

 

後の僕の人生の1ページに

大きな軌跡を残すことになる名称である。

 

「ジャイロボール…?初めて見る球種だな。

しかもこれ…ストレートの進化バージョンか!」

 

僕はさっそくジャイロボールについて本屋で調べてみた。

 

【ジャイロボール】

拳銃の弾丸やラグビーのボールのように

螺旋回転を描きながら飛んでいく球種である。

 

空気抵抗が最小になるため、

打者から見ると、ボールが手元で異常に伸びているように見える。

また、ボールの持ち方を変えるだけで、今度は空気抵抗が最大になり

手元で失速する球も投げることができる。

 

…魔球じゃないですか!!!

 

螺旋回転で空気抵抗が最小ってだけでもワクワクなのに

ボールの持ち方を変えるだけで、今度は空気抵抗最大!?

 

なんじゃこりゃ!!

一石二鳥じゃん!!

ていうか“ジャイロボール”っていう響きだけでもうカッコイイ!!

 

という感じで、

ジャイロボールはこの年頃特有の厨二心を

ビル35階にいるときに震度7の地震が起こった時の揺れぐらいにくすぶったのである。

 

僕は完全にジャイロボールの魅惑に囚われてしまい、

さっそくその日からそれを研究する生活に入った。

 

ジャイロボールの生みの親と言われる手塚一志様(人を超えて、もはや神)

の著作を読みあさり、実際に習得しようと特訓を始めたのである。

 

練習の仕方はこうだ。

 

まずボールの半分をマジックで真っ黒に塗る。

投げる時にそのボールの黒い面が見えるように持つ。

そしてボールを投げた後に、

その黒い面がずっと見える状態になるよう、投げ方を改良・修正する。

 

黒い面がずっと見えているという事は、

ボールが螺旋回転しているという証拠であり

すなわちジャイロボールを投げているという事なのである。

 

この特訓方法で、家の壁にボールを投げ続けた。

 

半面が黒い奇妙なボールを、異常な真剣さで壁当てしまくる少年に対して

犬を散歩しているおじいちゃんが不審と好奇の目を向けていた事などどうでも良い。

 

俺は今、ジャイロボール習得という

世紀の大偉業を成し遂げようとしているのだ。

そのためなら、いくらでも嘲笑されよう。

 

何かを得るためには

何かを捨てないといけないのだ

 

などと、自らの命と引き換えに人類全体の命を守ろうとする

ヒーロー並みの使命感を感じながら、特訓に励んでいた。(嘘)

 

 

そして2週間後、ついにその時が来た。

 

ビュッ! スーーーー バンッ! ボトッ、コロコロ…

 

「はぁ、はぁ、白い面が混じって見える。また失敗か…」

「どうしたら投げれるんだ…もう摩擦で指が痛い…」

「こうなったらヤケだ。指をフックだと思って、

投げる時に無理やりボールを引っ掛けてジャイロ回転にしよう」

「いくぞ……フック…フック…!指はフーーック!!!」

 

ビュッ!シュルルルルルルルルルル、バン!!

ボトッ、コロコロ…

 

 

!!!!!!!!

 

 

「見えた…!!黒い面だけが…!!

…漆黒の闇を手に入れたぞーーーー!!!!!」

 

 

周りから痛い目で見られながら、

ひたすら壁当てをするという過酷な特訓を乗り越え、

ついに僕はジャイロボールを習得したのである!!

 

この時、習得の決め手となった

「指をフックだと思いボールを引っ掛けて投げると、ジャイロ回転になる」

という現象は、後に『フックの法則』と呼ばれる事になる。

(中学の理科で聞いたことがあるような名称だが、そんなことはどうでも良い)

 

とにかく、念願のジャイロボールを習得したのである!!

 

ちなみに、この感動のストーリーを友人に話しても

95%の人は信じてくれない。

 

⑦新たな戦いの始まり

ジャイロボールを習得した僕は、

厨二心で満たされた中学生なら

当然の如くたどり着くであろう目標を持つようになった。

 

ジャイロボール…

俺には…特別な力があるようだ…

 

…良いだろう。

ならば行こうじゃないか。

 

甲子園という舞台に…!!!!!

 

という事で

突如現れた新星ピッチャー、「ジャイロボーラー・ケン」の活躍により

弱小校の野球部を甲子園に導くという

あまりにありきたり過ぎて漫画のテーマにすらならなそうな

夢いっぱいの青春ストーリーが始まったのである。

 

高校に入学して、さっそく野球部に入った。

一度は辞めた野球という戦場に、また戻ってきたのである。

 

最初のポジションは、外野のセンターだった。

今まで投手の経験がほぼ無かったため、

センターを守るのは当然の成り行きだった。

 

「しょうがない。最初は忍耐だ。

だが、裏で秘密の特訓を続けて、

近いうちに必ず投手として活躍してみせる!!」

 

…との決意をしたのも束の間

入部から既に9ヶ月が過ぎようとしていた。

 

その頃には、「ケンは来年、1番センター」という

僕の立ち位置が完全に決まってきており、

投手としてチームを甲子園に導くという

当初の目標からはかけ離れていた。

 

「まずい!ここままでは!

1番センターのレギュラーを勝ち取る俺の実力は流石だが、

本当にやりたいのはピッチャーなんだ!!」

 

と相変わらずの傲慢無謙虚ぶりを発揮しつつも

じわじわと迫り来る焦燥感にかられていた。

 

だが運命は、

まだ僕を見捨ててはいなかった。

 

ある日いつも通り練習を行っていると

監督が突然こんな事を言いだしたのである。

 

「よーし!これから新しい試みを始める。

今までは適正を見てポジションを決めていたが、

これからは自分がやりたいポジションをやっていこう!

その方が力を発揮できるかもしれないしな!」

 

 

キターーーーーーー!!!!

なんという神展開!!!

その通りです監督様!!!

 

 

僕は俄然張り切った。

アンケート用紙みたいなものに希望のポジションを書き

それから各ポジションに分かれて練習していくのだが

僕がピッチャーの練習場所にいる時はみな驚いていた。

 

「え、お前ピッチャーやんの!?」

「ピッチャー体験学習か笑」

「投げる代わりに、ボール持ちながら走ったら?ww」

 

などと冷やかされながらも

黙々と練習を続けた。

 

この頃はフォームの改良を行っており、

それに伴って球速もどんどん上がっていった。

ジャイロボールのキレも増しており、

投げた時に空気を切る音が聞こえたほどだった。(ほんと)

 

それをアピールするために、

ただのキャッチボールをするときも

かなり速めのジャイロボールを投げていた。

 

シュッ!!シュルシュルルルルルルル…バシッ!!

シュッ!!シュルシュルルルルルルル…バシッ!!

 

僕が投げるジャイロボールに対して、

明らかに周りの反応が変わってきた。

 

ざわざわ…ざわざわ…

 

「なんかあいつの球結構速くね?」

「かなり伸びてるよな」

「ガチで投手できるんじゃね…?」

 

ざわざわざわ…

 

いつの間にかギャラリーが出来ていて、

皆が僕のキャッチボールを見ている状態になっていた。

 

その時に当時のエースピッチャーの先輩が僕の元に近づき

 

「かなり良い球投げるね。本格的にピッチャーやった方がいいかも。

カーブとか投げれる?教えてあげるよ。」と言った。

 

僕は

「本当ですか!?ありがとうございます!

是非お願いします!」と言いつつも、

心の中では

「余裕こいてられるのも今のうちだぜ!

俺がエースとしてマウンドに立つ時はすぐそこまで来ているのさ!」

と思っていた。

 

清々しいくらい嫌な奴である。

 

こうして当時のエースからも認められ、

確実にピッチャーとして活躍していく機運は高まっていた。

 

 

そして決定的出来事が起こる。

 

 

いつものように、ピッチャーが練習する場所で

キャッチボールをしていた時の事である。

 

監督がそれぞれの練習場所を視察しており、

ピッチャーの所にも来た。

 

そしてこう言ったのである。

 

「今日はピッチャー陣の球の回転を見る。

球の回転は、まさにピッチャーにとっての要だ。

しっかりと腕を振り切って投げるように!」

 

 

球の回転…

まさにジャイロボールじゃないか。

 

ジャイロボールこそ、

回転が1番の強みじゃないか!!

 

監督がその球の回転を見ると言っている。

 

ここでジャイロボールをアピールすれば

俺の投手起用への道が開けるはずだ!!!!!

 

その時、完全に確信していた。

 

自分がピッチャーとしてデビューし、

この弱小校を甲子園へと導くストーリーが

今、始まるのだと!!

 

 

監督が一人一人のキャッチボールを見て回り、

アドバイスを言い渡していく。

 

そしてついに僕の番になった。

 

準備は万端。

緊張せずにリラックスしているし、

肩の調子も良い。

 

そしてなにより、今日のジャイロボールはキレッキレである!!

 

監督がじっと僕の様子を見ている。

 

さあ行くぞ。

今までの人生の中で1番の重みを持つ1球だ。

 

ボールをギュッと握り。

僕は振りかぶる。

 

キャッチボールとは思えないほど

大げさに足をあげ、

相手のグローブのど真ん中に焦点を合わせる。

 

監督の視線が、

今まさに放たれようとするボールに集中する。

 

そして投げたっ!

 

フックの法則により

ボールは綺麗なジャイロ回転を描いている。

 

その特異な回転により空気抵抗が限界まで抑えられたボールは

シュルルルルルルルルルルルと、

空気とボールの縫い目から生じる鋭い音を鳴らす。

 

バーーーン!!!

 

ボールが相手のグローブのど真ん中に収まった。

 

完璧である。

 

現時点で自分が投げることのできる

最高のジャイロボールを披露できた。

 

勝った…!!!!

ここから、俺の伝説は始まるんだ!!!

 

僕は心の中で勝利の雄叫びをあげていた。

 

 

そして監督が口を開き、こう言ったのである。

 

 

 

 

 

「おいケン、

 

球の回転おかしいぞ。

 

次の練習までしっかりと直しておけよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は1ヶ月後に野球部を辞めた。

 

 

⑧大学受験へシフト

今まで自分が全身全霊で取り組んできたジャイロボールを否定された時から、

ジャイロボーラーとして甲子園に出場するという目標に対する情熱も

急速に冷めてしまった。

 

結果、野球部を辞めることになり、

これが三度目の挫折である。

 

しかし、監督を恨んでいたりはしない。

 

僕は薄々分かっていたのだ。

 

例えジャイロボールを投げれたとしても、

最高時速120kmの投手が甲子園に出ることなど出来ないと。

(早く気づけよ)

 

野球部を辞めてからは陸上部に転部し、

可もなく不可もなく、のんびりとやっていた。

 

そんな時、

今までジャイロボールに注いでいた情熱が

次の居場所を求めてたどり着いた先が「受験勉強」であった。

 

僕は高校1年の前期こそ、定期テストで上位に居たが、

それ以降はどんどん順位が落ちていった。

 

それは何故かというと、

当時、「和田式受験勉強法」という

独学がメインの勉強法に傾倒していったためである。

 

そのため、授業中は内職をして

英語と数学だけをやり、後の教科はほっておいたために

成績が下がってしまっていた。

 

しかし僕はこの勉強法を信じてやまなかったし、

実際、英語では良い結果を出せていた。

 

和田式勉強法という最強の勉強法に、

絶対的な自信を持っていた。

 

 

そして東大を目指し始めるのである。

 

何故東大か。

理由は簡単だった。

 

「最強の勉強法を知っている俺が

最難関の東大を目指すのは当然じゃん?」

 

この時の僕に、

「最強の努力をした上で」という項目を追加するよう、

切に説いて聞かせてあげたいと今では思っている。

 

とまぁ、そんなこんなで、受験勉強が始まったのだが、

なかなか遠くて疲れる道のりであった。

 

高校3年初めに受けた東大模試ではD判定だった。

 

「まぁ悪すぎるという事ではない。

D判定から追い上げて、最後は東大に受かった人もたくさんいるんだ。

俺にも出来ない事はない!」

 

とポジティブに捉えて、せっせと勉強していた。

 

そんなある日

勉強の息抜きに、僕も含めたクラスの男子で

携帯ゲームの「ぷよぷよ」をやり始めた。

同じ色のぷよを消して、相手のフィールドに石を落とすアレである。

 

ただの息抜きで始めたのだが、

これがかなり面白い。

 

相手に勝つために、頭を使いながら

5連鎖、6連鎖とぷよを打ち消してく行為は

受験勉強の疲れも打ち消していってくれた。

 

その日以降、

勉強の合間にぷよぷよで対戦するのがみんなの日課となり、

その戦いは徐々にエスカレートしていった。

 

そしてついに

勉強そっちのけに、ぷよぷよがメインの生活になってしまった。

 

元来、何でも極めたくなる性格の僕は

ぷよぷよにおいてもそれは例外ではなかった。

 

友人に勝つためにぷよぷよの研究を始め、

毎日のトレーニングを欠かせなかった。

 

そして気づいた時には、誰も僕に勝てなくなっていた。

 

1番になるという目標を達成したその頃から、

ぷよぷよへの熱が急速に冷めていった。

 

そして成績もガタ落ちした。

 

しばらく勉強をしていなかったのだから

当然である。

 

一度落ちたモチベーションを取り戻すのは難しい。

 

僕は受験での勝敗が決まると言われる

夏休みの期間をゲーム三昧で無駄にしたあたりから

こんな考えを抱くようになっていた。

 

何のために受験勉強なんか頑張ってるんだろう?

 

親のため?

就職のため?

将来のため?

 

少し考えた上で出た結論が

「周りが受験を頑張るみたいだから、俺も頑張っておこう。

まあ、良い大学に行けば将来の選択肢が増えるだろうし。」

といったものだった

 

なんだろう?これ。

全然楽しくない。

全然ワクワクしない。

 

こう思ってしまった時から、

もう受験勉強に熱が入る事はなかった。

 

結局、第二志望の大学にだけは合格したが、

東大合格という目標はあっけなく崩れ落ちたのである。

 

4度目の挫折を味わった瞬間だった

 

⑨大学生活とインドへ行くまで

高校卒業後、僕は大学に進学するために上京する事になった。

初の東京での生活。

少し期待に胸を膨らませていた。

 

実際、大学生活は楽しかった。

 

1年目、2年目と大学寮に住んでいたのだが、

そこでは多くの個性的な友人と出会う事ができ、良い思い出になった。

 

たくさんお世話になる、尊敬できる先輩達とも出会った。

 

これからやってくる世界の国際化に向け、

英語をマスターするという新しい目標もできた。

 

「うひょー!!東京ってすんげー!何でも揃ってる!

大学寮での生活も毎日楽しいし!」

 

「すげーかっこいい先輩がたくさんいるなー!

就職先も難しい所にバンバン内定とってるし!

あんな先輩みたいになりたいなー!」

 

「これからは英語だな!ペラペラ喋れるように

さっそく勉強頑張るぜ!TOEIC高得点とるぞ!」

 

毎日が充実しているように感じた。

 

 

…しかし何かが足りない。

大学生活を真に意味あるものにするための

本質的な何かが。

 

 

それは“夢”だった。

 

僕には夢がなかった。

 

人生をかけて絶対に成し遂げたいと思えるほどの夢を、

僕は今まで一度も持った事が無いのだ。

 

今までのジャイロボールと東大合格の話は夢なんかではない。

あれはもはやネタである。

 

そういう見栄や名誉などの表層的なものではなく、

それによって自分を自分たらしめる、

僕にしか果たせない使命のようなものだ。

 

しかし、そう簡単に見つかるものでもない。

 

将来に対する悶々とした気持ちを断ち切れずに、

大学3年生になっていた。

 

 

この頃、元々英語をマスターしたいと思っていたこともあり、

留学に行こうと考えていた。

 

問題はどこの国に行くかだが、

最初はシンガポールに行こうとしていた。

 

英語圏で、発展しており、ある程度の安さで留学する事が出来るからだ。

 

その事を信頼する先輩に相談したところ、

思いも寄らない答えが返ってきた。

 

 

先輩「インドとかはどう?」

 

 

僕「インド!?は、はぁ…(無事に帰ってこれなそう)」

 

インドなんて、

『カレーが主食で、

トイレの始末は左手で済ませてて、

牛と像が道路を歩いているぶっ飛んだ国』

という印象しか持っていなかったため、

そもそも留学候補にすら挙がらなかった。

 

だが、先輩は続ける。

 

「インドのような多言語、多民族、多宗教、

その上発展途上国で、日本と全く違う環境にこそ、

ケン君が本当に成し遂げたい夢を見つけるヒントがあるんじゃない?

英語もよく使われるし」

 

 

この言葉が引き金となり、

僕はインド留学を真剣に考え始めた。

 

「まぁ、言われてみれば、かなり刺激がありそうだな…」

 

そしてインドを調べれば調べるほど、

魅力的な国に思えてきた。

 

「なんだここ!

これから世界を担う大国になっていく国なんか。

可能性に満ち溢れた国やんけ!

道路で牛さんと戯れるのもアリだな!」

 

「よし…決めたっ!」

 

僕は自分の夢を見つけるために

インドへ留学する決意を固めたのである。

 

⑩人生を変えたインド留学

ここからは漫画のネタバレになるため、多くは語れないが、

とにかくインドという国は衝撃的だった。

 

まさに日本では決して見ることが出来ない

未知の世界。

 

色んな人を見て、

色んな経験をし、

色んな人生に思いを馳せた。

 

何よりも大きかったのは、

インドで「死」というものが

リアルに感じられた事である。

 

この経験は、

「人間、いつ死ぬか分からない」

という当たり前だが中々実感しにくい事実を

強烈なまでに、自分の生命に刻みつけた。

 

そして、その死への恐怖が

「後悔が無いよう、今を全力で生き、挑戦しろ」

という新たな信念を、自らの土台に据えたのであった。

 

 

非常に濃い9ヶ月の留学生活が終わり

僕は日本に帰国した。

 

結論から言うと

留学期間中に、自分の夢を見つけることは出来なかった。

しかし、夢を本気で見つけようという覚悟はできた。

 

 

日本では就活がいよいよ始まろうとしていた。

多くの学生のメインストリーム、就活。

 

本来ならば迷わず飛び込むような流れだろうが、

僕は一度立ち止まった。

 

何かが決定的に違う気がしたからだ。

 

就活ではない何かが僕の心の奥底に

眠っているような気がした。

 

インドで得た経験を思い出す。

 

「人間はいつ死ぬか分からない」

「後悔が無いよう、今を全力で生き、挑戦しろ」

 

 

僕はひたすら過去の自分を思い返す事から始めた。

 

1週間、2週間、1ヶ月。

 

貴重な夏休みをまるまる使って、見えてきたものがあった。

 

 

それは「絵」だった。

 

ずーと心の片隅で引っかかっていた。

俺の本当にやりたい事は、「絵」を描くことなのではないか?

 

もちろん絵を描くのは昔から好きだったし、

進みたい方向性としては合っている気がしたが、

それでもまだ何か腑に落ちない。

 

そこで行き詰まってしまった。

 

その同時期にたまたま、

「半沢直樹」というドラマと、「進撃の巨人」というアニメを毎週観ていた。

 

これは当時どちらもかなりの人気ぶりを博しており、

特に「半沢直樹」に関しては、最終回視聴率40%超えという

空前の『倍返し』ブームを引き起こしていた。

 

僕も相当ハマっていて、この2つを観る事ができる

毎週日曜日が楽しみでしょうがなかった。

 

会話の語尾にしょっちゅう「倍返し!」を付ける

やっかいな奴に僕はなっていた。

 

そんな時、ある考えが浮かんだ。

 

思えばこの「半沢直樹」と「進撃の巨人」は

どちらも一人の作者から生まれた作品だ。

その作品がこれだけ世の中の人に影響を与えるというのは

かなりすごい事なんじゃないか…?

 

俺がやりたいのは、こういう事かもしれない。

 

自分の全てをもって創り出した作品で、

世の中の多くの人に良い影響を与えていく。

 

それは、作品を通して、

一人一人の人生に関わる事ができるという事である。

 

 

ではそれを成し遂げる方法は何か。

その答えはすぐに思い浮かんだ。

 

漫画である。

 

自らの絵という特技を使い、ストーリー、キャラ、セリフ、構成、

あらゆる要素を詰め込み、一つの作品を創る。

 

それが出来るのは漫画しかない。

 

 

僕の夢は決まった。

 

漫画家として、人々の人生に関わる作品を創り続けていくこと

 

⑪試練の1年

夢が見つかったのはいいものの、

実際に行動に移すという事には大きな壁がある。

 

僕にもいくつかの障害があった。

両親、知人の反対、周りの人間の奇異な眼差しなどである。

 

他人の評価の物差しを基準に今まで生きてきた自分にとって、

これらの壁を乗り越えるという事は、

根本的な部分で自分が変わらないといけないという事を示していた。

 

実際、知人からは「無理だよ」と言われ、

先輩からは「才能など無いと思ったほうが良い」と諭された。

 

その度に不安と孤独を感じていた。

 

しかし幸いな事に、僕には唯一応援してくれる友人がいた。

彼はP君という人で、帰国後にたまたま大学で会い、

親しくなった友人だ。

 

彼は当時社会起業家としても活躍しており、

身にまとう雰囲気が周りとは異質だった。

 

初めて彼に漫画家の夢について打ち明けた時、

彼は目をキラキラさせながらこう言った。

 

「めちゃ素敵な夢じゃん!!

絶対漫画家になろうよ!

自分の気持ちに素直になろう!!」

 

僕はビックリした。

この事を他の知人に話しても、

だいたいは戸惑うか、引いたような反応が普通である。

 

しかし彼は、まるで自分自身がその夢を追っているかのように、

無邪気に喜んでいるのであった。

 

僕はP君という稀有な友人・心の拠り所を得て、

本格的に漫画を描くために、1年間大学を休学した。

 

昔からジャンプに慣れ親しんでいたというのもあり、

最初の目標はジャンプで新人賞を取る事だった。

 

今まで漫画は描いたことが無いため、ゼロからのスタートだった。

ネームやGペンなどの意味調べから始め、

さっそく最初の作品作りに取り掛かった。

 

読み切り45ページ、制作期間約3ヶ月。

 

随分と時間がかかったが、

初めての作品を完成させた達成感は大きかった。

 

そしてビクビクしながら集英社の編集者に持ち込みにいった。

 

 

結果はボロボロだった。

 

ダメ出ししかされなかった。

かなりショックで、何を言われたかはあまり覚えていない。

その日は放心状態で帰路についた。

 

 

しかし、少しの失敗くらいでへこんでいる暇は無い。

僕は気を取り直して、2作目の制作に取り掛かり始めた。

 

今回も45ページの読み切り。

制作期間は約3ヶ月。

 

前作より絵もストーリーも上達した。

それは自分でも分かった。

 

前回よりも少し自信を持って集英社に臨む。

編集者がサッサッと凄いスピードで僕の漫画を読み進める。

 

そして一言、

 

「ダメですね」

 

 

またか…

僕は頭が真っ白になった。

 

今回も僕の心はズタボロにされ、

しばらく絵を描かなかった。

 

そんな時こそP君は僕を励ましてくれた。

「それはしょーがない!

でも絵も本当に上手くなってるし、成長スピード早いよ!

最初からうまくいく事なんてないんだから、また頑張ろうよ!」

 

 

僕は再起した。

 

 

3作目の執筆開始。

今回は31ページの読み切りで、製作期間は3ヶ月だった。

 

これは本当に自信があった。

絵もストーリーも格段に上達していた。

 

Pくんも

「これは本当にいけそうな気がする!

すごい成長したよ!!」

と言ってくれた。

 

いけるかも…!

期待を胸に3度目の集英社。

 

 

お馴染みの編集者が現れる。

そして凄いスピードで読み進める。

 

 

「え~とですね。

まず1番の敗因は…」

 

 

最初の一言目で「敗北」を宣言された。

 

期待が大きかっただけに、この時の絶望感は凄かった。

 

自分にはやっぱり無理なのか…?

 

人生で初めて本気の全力で取り組んだものが、

とってもきれいに正面から粉々にされる経験を味わった。

 

 

挑戦から丁度1年が過ぎていた。

 

⑫新しい挑戦

しばらく絵を描かない期間が続いた。

何もする気が起きなかった。

ひたすらスマホのパワプロアプリをやっていた。

 

そんな時、大学の先輩と話す機会があった。

そして、一度就活に取り組んでみたらどうかと提案された。

 

正直全くやる気になれなかったが、

漫画すらも描く気が起きない現状で

他に何か行動を起こしたい事があるわけでもなかった。

 

とりあえず就活をしてみた。

すると面白い事に、就活で動けば動くほど、

漫画に対するやる気も湧いてくる事が実感できた。

しかし、ジャンプへの情熱は消えていた。

 

今度は、違う形で漫画を描いてみたいと思い始めていた。

今までにはない、新しい形の漫画家像を追い求めたかった。

 

それがどんなものかはまだ想像出来ていなかったが、

確実に必要だろうと思われたツールがWebだった。

 

これからは、Webという媒体を通して、漫画の形も多様化する。

そんな直感を頼りに、Web漫画の勉強を始めた。

 

就活と並行して、漫画をアナログではなくデジタルで描いていく方法を学んだ。

 

夏休み。

その頃には就活でも1社内定を貰い。そこで終わりにした。

そして漫画製作に没頭した。

 

テーマは、

自分のインド留学を元にしたインドエッセイ漫画。

 

自分でホームページを作り、そこに投稿していくスタイルで行こうと決断した。

 

全てがまた0からのスタートだったため、

相当苦労したが、11月にやっとホームページを公開できた。

 

そして嬉しいことに、

公開から20日目で訪問者2200人、1万PVを達成した。

 

そして漫画以外でも、イラスト製作などの仕事依頼を受けるようになった。

 

まだまだ取るに足らない結果だが。

僕にとっては非常に意義のある、大きな一歩になった。

 

⑬これからの夢

僕には2020年までに果たしたい夢が2つある。

 

一つは、

現在描いている漫画「バイヤー伝」を完結する事。

 

そしてもう一つは、

日本一周、世界一周バックパック旅をすることである。

 

意外に思うかもしれないが、これは漫画とは別に昔から持っていた夢だ。

世界にはまだまだ素晴らしい景色や場所、人々が存在するのに、

それを見ずして人生を終わるのは寂しいと思った。

 

ただ、それは「いつか行けたらいいな~」と言った、

全く具体性の無い夢で、本当に行けるとは思っていなかった。

 

しかし、今では必ず行きたいと思っている。

「ただの夢」から、「予定」に変わった。

 

そして、全世界をただ旅するのではなく、

その体験をできるだけ多くの人と共有したいと思っている。

 

今までに無い形で、「まるで自分も旅しているみたいだ!」

と思ってもらえるようなコンテンツを発信していきたい。

もちろん、漫画という形でも発信していく予定である。

 

そして2020年以降は、漫画家としての活動をより活発に行っていく。

言ってしまえば、ここからが本当の勝負かもしれない。

 

読んでくれた人に、勇気と希望を送れるような漫画を、どんどん描いていきたい。

 

そのための基盤を創るのが、僕の20代でやるべき事だと思っている。

 

自らの作品で人々に勇気と希望を送る事。

自らの生き方で人間の可能性を証明する事。

 

これが漫画家ケンの夢です。

 

⑭最後に

非常に長文になってしまいましたが、

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。

 

まだまだ伝えきれないエピソードがありますが、

大きな流れとしてはこのようになります。

 

少しでも読者の皆様に役立てれば嬉しく思います。

 

たった一言の応援が、僕にとって物凄い力になります。

心の底からエネルギーが沸いてきます。

 

もし感想やご意見、質問などがありましたら、

お問い合わせか、僕のSNSから気軽にご連絡ください。

 

長文を拝読いただき、大変にありがとうございました。

 

漫画家ケン